翻訳と辞書
Words near each other
・ 川勝広宣
・ 川勝広峯
・ 川勝広恒
・ 川勝広成
・ 川勝広有
・ 川勝広業
・ 川勝広次
・ 川勝広氏
・ 川勝広永
・ 川勝広當
川勝広當 (讃岐守)
・ 川勝広継
・ 川勝広綱
・ 川勝広能
・ 川勝広致
・ 川勝広良
・ 川勝広良 (清三郎)
・ 川勝広英
・ 川勝広豊
・ 川勝広豊 (清三郎)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

川勝広當 (讃岐守) : ミニ英和和英辞書
川勝広當 (讃岐守)[かわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

川勝広當 (讃岐守) : ウィキペディア日本語版
川勝広當 (讃岐守)[かわ]

川勝 広當(かわかつ ひろまさ)は、江戸時代中期の旗本。広恒流川勝家の4代当主。
== 生涯 ==
享保元年(1716年)、川勝広良の嫡男として江戸に生まれた。享保8年(1723年)9月2日、父広良の死去により、その家督(武蔵下総常陸内550石)を継いだ。広當、時にわずか8歳であった。後に百手的の台覧の列にあって、黄金二枚を給わった。
元文2年(1737年)12月25日、西城の小納戸に列して〔小姓に次ぐ将軍側近の職で、100名余りで将軍の身辺の雑務にあたった。若年寄支配。〕、同日に布衣を着る事を許された。元文3年(1738年)12月15日、西城の小姓に転じた。寛保元年(1741年)12月19日、従五位下讃岐守に叙任し、寛保2年(1742年)6月10日に将軍徳川吉宗から國正の御刀を拝賜した。延享2年(1745年)9月朔日、本城の勤めとなったが、延享3年(1746年)11月24日、31歳で早世した。家督は末期養子〔旗本・御家人の場合には所属する頭・支配(目付)による判元見届という手続きが必要であった。〕の川勝広豊が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川勝広當 (讃岐守)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.